平野雅彦が提唱する情報意匠論| 脳内探訪(ダイアリー)

平野雅彦 脳内探訪

第三回読書会のススメ 「本の茶会」   2010/09/20

dokusyokai7


「読書会のススメ」、第三回「茶碗を愛でるように本を鑑賞する 本の茶会」が修了した。簡単に云えば、読書会を茶会に見立てたのである。
裏千家淡交会の青島宗智先生(静岡支部幹事長)、深澤和恵さん(宗和 静岡支部清水青年部部長)、加えてお仲間三名さまに大きなご協力を頂いた。

わたしが今回の読書会のために用意したテーマは「間」。
茶の湯にも、読書という行為にも、あらゆるサイズの、しかもあちこちに間が潜んでいる。実はその間を味わうことが今回の「本の茶会」の醍醐味だ(実際に行ってみると、人数の問題、「本の点て方」等多くの課題が見えた。そういった意味で「間」にあわず、「間」が悪かったのはわたし自身かもしれない)。

床の間には手塚治虫先生の一幅の原画を掛けた。生前手塚先生は「漫画とは間そのものだ」といった内容の話を何度もされていた。そうしてそのお軸(?)に添うようにして淡交会さんのお見立てで撫子が活けられた。撫子は、季節を夏から秋へとつなぐ花で、その名は、撫でたくなるような愛らしい子のような花という意味だ。小さな、小さな、ピンクの花を一輪つけた撫子はピンク色を代表する花という意味で、なんと英名が「pink」。愉快である。
主菓子は創業二百年増田屋の栗きんとん。何とも品の良い味である。増田屋の和菓子には、禅語でいうところの「春在一枝中」がある(茶禅一味だ)。小さな世界にその季節のすべてが折りたたまれているといった意味だ。その栗の味がまだ口内で消えないうちに点てて頂いたお茶が実においしかった。まさに「茶は服のよきように」である。

一通りの茶事が終わると、いよいよ本の世界へ。
今回は、ものづくりに「間」を強く意識し、「間」について文章を寄せている作家やアーティストたちのテキストを選んでみた。しかもすべて直筆署名入りの本(土門拳、小川国夫、白洲正子、小林秀雄、芹沢銈介・・・)を用意して、一服の茶を味わうように参加者の掌を書物が移動するといった趣向にしてみた。
細かな「茶会の方法」は敢えてここには記さない。そこで起きたこと、観たこと、感じたことは、「本の茶会」に参加した者のみが知る。「一座建立」、そもそも茶会というものはそういうものだろうし、それを見立てた読書会もそうあっていいだろう。


「茶は服のよきように」「炭は湯の沸くように」「夏は涼しく、冬は暖かに」 「花は野にあるように」「刻限は早めに」「降らずとも雨の用意」「相客に心せよ」(『利休七則』)
わかっていてもできない。当たり前のことを当たり前にする。それが茶の心であると、千利休は七則をもって教える。よく読めばわかる通る、これは茶の湯に限らず「生活」(活かし活かされ、生きる)そのものを云っている。


参加してくださったみなさま、ありがとうございました。裏千家淡交会のみなさま、感謝申し上げます。無理難題を笑顔で受けてくださった主催者あざれあの担当者七宮さん、毎回取材をしてくださった豊田さん(取材というか参加者?)に感謝。あざれあ図書室の菊川さんと片山さんは、毎回その回にあった選書をしてくださり、多くの関連書籍を会場へと運び込んでくださった。また、名前を挙げられないが(大勢過ぎて)、あざれあスタッフのみなさまに毎回助けられた。特に、大角局長には心から感謝申し上げたい。
とにもかくにもわたしもすべて初の試みで、毎回、毎回、多くの時間を割いて準備をしながら当日を迎えた。特に最終回の「本の茶会」はギリギリまで方法に悩み抜き、本番でも時間と様子を見ながら流れを変えた。

うれしい感想も毎回頂いている。次回は、参加者のみなさんが企画した読書会にわたしが参加させて頂くことになっている。それがもう一つのこの企画の意図でもある。お茶会にもまたお邪魔したい。


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