天竜浜名湖線の駅舎で「neuromyth(神経神話)」について、ぼ〜と考える 2010/09/07
これはボツ写真
◆SPAC(静岡県舞台芸術センター)がこの夏上演した『モモ』と『ユメミルチカラ』の両方に共通しているのは、市民参加型の舞台ということだ。こういう舞台は、ウルサガタはなかなか「自分の時間」を割いて観に行かない。どうせ素人でしょと歯牙にもかけない。優先順位が低いのだ。
わたしは今回その両方の「演出」に心の底から感動を覚えた。そうして、いっしょになって一つの作品を創り上げることの重要性について改めて考えさせられた。自分は端から見ていて「さあ、自由に活動してください」、そんな演出などあり得ない。一緒になって汗をかき、一つになってものを創りあげる。しかも短期集中で同じ釜の飯を食うことの重要性についてだ。我が身を振り返って、大いに反省させられた事柄でもある。そんなことは百も承知のつもりになっていて、だが、現実にはそうできない。反省しきりである。次回には活かすぞ!!
◆こう書きながら、ふと思い出したことがある。大学生たちも巻き込んだ例のフレーズを考えるコンテストはその後どうなったんだろう。
検索をして表彰式があったことを知った。だが、みんなでお祭り騒ぎをして、内輪で表彰して、はい、おしまい。「よくわかっていない人々」を友人関係という間柄で巻き込んでお祭り騒ぎ。これは乗せた方も乗せられた方もかなりあやうい状況だ。
そもそも何を目的に何をしたいんだろう。応募者数を増やしたいのか。若手を育てたいのか。テーマに掲げている問題について真剣に取り組みたいのか。果たして決定したフレーズはこの後どのように使われるんだろう。よくわからない。
これでいいのだろうか。むしろ、終わったあとにこそ参加者に向けた「教室」があるべきなんじゃないだろうか。
◆(備忘録のために羅列)構想日本のYさんと東京大学公共政策大学院のYさんと何年かぶりに黒はんぺんをつまみに爆裂トークをし、掛川市民大学院で学生たちと掛川市の可能性について話し合い、浜野佐知監督『百合祭』上映会&シンポジウムに伺い、広報誌の講評のために茹だった空気の中を沼津まで足を運び、小学校時代の同級生I氏とその友人M氏からある企画の立ち上げに関する相談を持ち掛けられ、満井就職支援財団「第5期生認定証授与式および交流会」に参加し、ある広報誌のために天竜浜名湖線(通称天浜線)の撮影に出掛ける。
天浜線は、掛川から新所原をつなぐローカル線で、夕刻は1時間に二三本程度の運行だが、日中は上下線それぞれ一本程度とさびしい。したがって、その撮影に満足できないと次の電車を1時間も待たねばならない。一度通過するごとにシャッターはワンチャンス。これは大変だ。待ち時間は、本を読んで駅舎でゴロゴロしたり、そのうち読書にも飽きて、その辺を野良犬のように歩き回ってみたりする。風景を眺めて、な〜んにもしないのは久方ぶりだ。脳科学では、これをデフォルト・モード・ネットワークが稼働している状態という。
◆話は逸れるが、脳科学の分野は今や有象無象入り乱れ、素人目にみても大変なことになっている。例えば、脳の重要機能は三歳までに決まる。脳トレで脳は(筋肉のように)鍛えられる。脳の10%しか機能していない云々といった具合だ。この俗説流布の現象を「neuromyth(神経神話)」という。わたしは専門家でもないし、科学絶対などとはおもってはいないが、見るに見かねる状況にある。
脳トレでは、そのドリルに対して順応性が高まったと言えるだけで、実際に(筋肉のように)脳が鍛えられ、万能な能力を獲得したわけでないのだ。少なくともわたしの周りで、脳トレによって「頭が良くなった」という人はいない(きっと)。
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