平野雅彦が提唱する情報意匠論| 脳内探訪(ダイアリー)

平野雅彦 脳内探訪

「魯山人」で本を読む  2010/08/13

sora3


もう五六年は経とうか、ある友人とその連れの古物商を通して、北大路魯山人の織部を蒐集家に納めるところを立ちあわせてもらった。
わたしにはその器の出来不出来はまったくわからなかったが、大きなテーブルの上で、箱からその器を取り出した瞬間、一堂、うぉーという言葉にもならい言葉をもらしたまま、30分以上だれも何も言葉を発しなかった。いっしょに行った古物商が帰りがけに「ビルが何軒も建つコレクションですねえ」となにやら意味ありげにほほえんだ。

北大路魯山人は堅物で有名だった。ピカソもシャガールも梅原龍三郎も小林秀雄も横山大観も柳宗悦すらも、遠慮なく斬って捨てた。その魯山人がこんなことを云っている。

「魯山人は気むずかしい奴だと思っている人がいる。変人だという人もある。わがままな人だと思っている方もあるらしい。うるさいおやじだという評もきく。口の悪い先生だともいわれている。どれも一つとして、私を誉めた言葉はない。だが、あいつはずるい奴だとか、いやしい奴だとかいわれないだけありがたいと思っている。

たいがいの人は私を嫌いだという。私が誉めてやらぬからだ。別にけなすわけではない。本当のことをいっているだけなのだが、世の中の人は本当のことをいわれるとさしつかえる人が多すぎるから、私を敬遠してしまう。心にもない誉め言葉をいって、北大路魯山人は善人だといわれるよりは、ひとりぼっちで坐っている方が安らかだ」


本当のことをいって煙たがられるのは何も魯山人の専売特許ではない。そんな輩は他にも大勢いる。それでも魯山人がすごいのは、何ものにも寄りかからず、どこにも所属しないで、これらの発言をしているからだ。

独りでまっすぐ立っている。

「覚悟」を全部独りで背負っている。だから、すごい、だから、嫌われている以上の評価があるのだ。


来週末は、その「北大路魯山人」で本を読む。


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