平野雅彦が提唱する情報意匠論| 脳内探訪(ダイアリー)

平野雅彦 脳内探訪

言語的か非言語的か  2010/06/22

ningyou


新聞で読んだのか、いわゆる本で読んだのかはすっかり忘れてしまったが、病院のベッドに患者を「抑制する」ことを、改めて看護日誌に「縛った」と書かせたら、この行為が激減したという。抑制はあくまで医学用語であって、縛ったは非医学用語(この場合暴力用語)だ。
人は(ベッド以前に)言葉に縛られている。世界は言語である。言葉の先にモノ世界は存在しえない。言葉がなければモノそのものに触れることすらできない。
こう書きながら、ここで改めて考えてみると、知覚はそもそも言語的(概念的)体験なのか。それもと非言語的(非概念的)体験なのか。無意識の場合にはどう考えればよいのか。
今、目の前にある水は光を反射してきれいだが、わたしがそう表現した以外にそこには表現しきれていない水が膨大にある。これは言語的体験が非言語的体験を浮き彫りにしたという意味で・・・まずい、今、明日の締め切りを前に、こんなこと(大変重要なことだが)を考えている場合ではない。いったん退散します。思考からの逃避。


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