『種の起原』について 2010/06/17
今からちょうど一ヶ月前、ある学生からメールが届いた。『種の起源』について詳しく知りたい。書物を読んだだけでは意味が取れないところがあるので直接会って教えて欲しい、という内容だった(ちゃんと複数の書物に目を通していますか )。
わたしが、学生にアポイントメントのメールを返しながら、慣例としてダーウィンの日本における翻訳は『種の起原』であって、『種の起源』ではないことを促した。敢えて「起源」と綴ったのならそれはそれでよしとして、無自覚だとまずいと思ったからだ(確認したら、やはりワープロ変換に任せるままだった)。ちなみに、光文社古典新訳文庫などは「種の起源」を採用し、wikipediaも「起源」がキーワードとして立つ。
そうこうしているうちに東京大学出版会が発行している『UP』(2010.6)にタイミング良く「ダーウィンの著作は『種の起原』か、『種の起源』か」(瀬戸口烈司)という興味深い文章が寄せられた。
様々な著作や文献を渉猟しながら日本における『種の起原』の起原を探し求めていく瀬戸口の探求心には舌を巻いた。
中学か高校の授業で、ではなぜ「起源」ではなく「起原」と日本では訳され続けてきたかについて議論してみるといいだろう。果たして、「起源」でもいいじゃないかという意見が出てくると議論はもっとおもしろくなる。
・参考文献
「ダーウィンの著作は『種の起原』か、『種の起源』か」(瀬戸口烈司) 東京大学出版会『UP』(2010.6 通巻452号)
この場にアップした内容は、その後、数日間は激しくペンを入れる場合があります。
バックナンバーはここ↓から。「表示件数」を100件に選択すると見やすくなります。