女優と花伝書 2007/07/23
通りかかったテレビからおもしろい話題が聞こえてきた。ある女優(田丸麻紀さん すみません、彼女についてまったく詳しくない)が言葉を間違えて覚えていたという話。「マッカリ」を「モッコリ」と五年間も言い続けていたという(韓国酒に悪酔いしたわけでもなさそう)。かの林真理子でさえ、「人っ子ひとりいない」を「ひとりっこひとりいない」と間違えて覚えていたと云うから、まあ、だれにも多かれ少なかれ身に覚えのある話だ。
ここまでは普通。
このあと彼女が告白した、言葉を受け取る感覚にわたしはひどく感心した。
「“ツンドラ”とか“ニッカボッカ”とか、そういう言葉の響きって素敵ですよね。わたし、ときどき声に出して云ってみるんです」
わたしはすぐに、世阿弥の花伝書を思い浮かべた。最近、このことに対して原稿を書いたばかりだったからだ。
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(※以下、筆者の書いた原稿の一部)
世阿弥は、云います。「靡(なび)き」「伏す」「返る」「寄る」といった言葉は柔らかい響きがあるので、そこに注意を払えば余情豊かな演技になる。
一方、「落つる」「崩るる」「破るる」「転(まる)ぶ」は強い響きを持っているので、その言葉をもって演ずると、自然と所作が強くなる、と。
すなわち、言葉によって演技全体が大きく影響を受けるというのです。
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こじつけというなかれ。言葉を受け取る感覚とは彼女のような遊び心から来る、いわゆる口ずさむ(口遊む)である。遊ぶは、すさぶ、荒ぶるに通じる。おっと、これも最近書いたばかりの原稿に通じる。
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