ラジオというメディア 2007/07/23
FM放送の番組審議委員を務めている。毎回放送後の番組を、ためつすがめつ眺めてみては、改善点をみんなで検討する。
ラジオは今どのような生き方(生き延び方)を求められているのだろうか。 AM放送もスポンサーさえつけられない番組もあるときく。忘れたころに雑誌の「ブレーン」や「宣伝会議」が特集を組む。他にも、まるでラジオの存在など忘れてしまったのかとおもう態度をとり続けているメディアさえある。そもそもわたし自身、ラジオが好きだから、とても不愉快な思いをする。
顔見知りのディレクターやパーソナリティーの多くは、実によく勉強もしていて、よい番組をつくろうと必死である。ということは、ラジオというメディア自身が抱えている問題が大きすぎるということか。
昨今、ラジオの可能性については震災時の臨時放送という観点だけが声高に論じられ、メディア論の学者もそれ以外の可能性についてはほとんどノーコメントだ。学者でさえこの始末なのだから、いっそのこと、臨時放送メディアとして割り切るか。学者はもっと地域のメディアに対して、本気で助言すべきではないか。