おわああ、ここの家の主人は病気です
萩原朔太郎は天才の中の天才である(芭蕉は天才の中の天才の天才だ)。わたしは、iPodに彼の詩の朗読を入れている。新幹線の中では、バッハでもなくコブクロでもなく長唄でも常磐津でもない。決まって朔太郎だ。
その朔太郎がこんなことを云って、わたしをドキドキさせている。
「すべての日本の文化は司馬江漢の油画である」
鈴木春信(江漢の先生)で止まっていたわたしは、この言葉をどのように整理すれば良いのだろうか。
しかし、こういう言葉に出逢った日は、ひどく打ちのめされながらも、まことに気分がよいものだ。
《猫》・・・萩原朔太郎
まつくろけの猫が二疋、
なやましいよるの家根のうへで、
ぴんとたてた尻尾のさきから、
糸のやうなみかづき(#「みかづき」に傍点)がかすんでゐる。
『おわあ、こんばんは』
『おわあ、こんばんは』
『おぎやあ、おぎやあ、おぎやあ』
『おわああ、ここの家の主人は病気です』