平野雅彦が提唱する情報意匠論| 脳内探訪(ダイアリー)

平野雅彦 脳内探訪

ここ二日間の備忘録   2010/04/13 

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ばたばたしているので備忘録。


ここ二日間で二人の学生の就職相談に乗る(くどいようですが、相談の乗って欲しいのはわたしなのですが・汗)。これまた、くどいようですが、働く場には最初から天国が用意されているわけではありません。天国は自分で作り出すしかありません。

ayame

知る人ぞ知る古書店の旦那あやめさんと某企画の打ち合わせ。一言で言えば(わたしの担当は)「本屋さんに、もの申す」。

tamashii2

「公共図書館員のタマシイ塾」http://t-juku.org/から、今まさに孵化しようとしている某企画のための会議に参加。既成概念にとらわれないためには、意図的に「空席をつくる」ことが重要である。席を空けるからこそ、何かがそこへと来臨して腰をかける。
ところで、今回もやっぱり重要なのは本会議のあとのお食事ミーティング(なぜ最後は「晩餐」だったのかを考えたい)。一緒に食べることは、相手を思いやることであり、独り占めしないということである。これが本当の「打ち合わせる(チューニングする)」ということである。

・某ライブライアンの手に、マジックで書かれていた「携帯電話」の文字がずっと気になっていて、あとから伺おうと思っていて、うっかりした。

matuno

写真家の松野崇さんと雑談(ぞうだん)。サイトはあまりこまめに更新されていないようであるが・・・
http://www.studiomikasa.com/matsuno/photo.html

松野さんは商業写真をやりながら、海外でもいくつかの個展を展開するなど、アートへの挑戦も忘れていない。というか、松野さん自身は常にアーティストであり続ける。その野太い思想は、いつ会ってもぶれていない。少しずつ口から出る言葉は、常に何かへの批評だし、メッセージである。わたしはいつも松野さんの言葉を少しも聞き漏らさぬようにと注意を傾けている。ある人には抵抗のある言い方かもしれないが、こういった写真家の言説の前では、若造がいくら偉そうなことを言っても、寝言にしか聞こえない。
そんな松野さんの最近のテーマは、「ボケ」ということだ。肉眼というものはピンぼけにならない(ピンぼけを許してくれない)。絵画でも自然とピンぼけになることはない。自然とピンぼけになるのは写真の世界だけだと彼はいう。そこに松野さんは「記憶」というテーマを重ねて最近の作品をつくっている。
そういえば、記憶というものは常にピンが甘い。近くに手繰り寄せようと思うと、とたんにまた闇の中へと連れ戻される。
そうそう、平野も肖像写真を撮って頂く。しばしハッセルとコンタックスのシャッター音に酔いしれる。

karate

押忍! 昔取った杵柄。すみません。顧問らしいことは何もしておりません(汗) 押忍!


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