表現の多様性が医学の進歩を遅らせる? 2010/03/15
肩がソテツのようにバリバリです。
肩凝りがなぜ医学的に扱いにくいかと言えば(論文も圧倒的に少ない),患者の問診による表現が「多彩」だからというが原因の一つのようである。仮に同じ部位が同じ痛さだとしても,患者によってその表現は様々だ。
「肩の周辺が鉛のように重い」 「肩から背中にかけてずっしりと痛む」 「背中が鉄板だ」 「鎧を着せられたように重苦しい」 あるいは「ぱんぱんに張った肩が原因で眼底が痛む」と他の部位の症状を云う患者もいる。「重い」「重苦しい」「だるい」「はる」「シビレがある」「こる」・・・この「表現の多様性」が,治療の判断を迷わす原因となる。また,この表現が,真の意味で,病因を正確に表現しているわけではない。そこがやっかいなのだ。(参考文献「内科系総合雑誌 Modern Physician」Vol.30)
ちなみに一葉は「肩が張る」といった。漱石になってはじめて「肩が凝る」と綴るようになった。しかし、その漱石も「肩凝り」と名詞化はしてはいない。名詞化してはじめて病気となる。「頭が痛い」では病気ではない。「頭痛」ではじめて病気と認定される。ということは、肩凝りは漱石以後、病気に格上げされたということだ。
ところで,一つの新薬を市場に送り出すためには約15年の歳月がかかり,開発費用は平均1500億円というから驚きだ。
改めてソテツを見たけれど,この生命体のデザインは物凄い。神社仏閣に多いのは,仏教と結びついているかでしょうね。
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