建築を主語にしてみる。建築を分母に据えてみる。 2010/02/26
どこで、何で読んだのかも覚えていないが、家具は小さな建築であり、家は大きな家具だ、という言葉が印象に残っている。
連鎖的に思い出すのが詩人で工芸家のウィリアム・モリスの「自分は民衆芸術ということをずっと語ってきたが、それはすべて建築というあの一言で総括されよう」といった内容の言葉だ。そうしてモリスは「民衆芸術はことごとくその大きな総体の部分であり、家を建てるアートからすべては始まる」と続けた(文章は、意訳。手元に出典が見つからないが、きっと晶文社『ウィリアム・モリスの研究』だったと思う。この部屋のどこかにあるはずだ)。
そうして、ローレンツ・レッシグは人間の行動を制約するものとして、法律、規範、市場、アーキテクチャ(レッシグの言うarchitectureは単に建築と訳すのは間違いである。そのため、ここでは敢えてアーキテクチャと記述した)の四つを挙げた。
また、早くから自らの方法を「情報建築」とネーミングして、情報を建造物とその構造や建築方法に見立てたのは、リチャード・ワーマンである。
ギリシア、ローマ、ロマネスク、ゴシック、ルネサンス、バロック、ロココ、新古典、ヴィクトリア朝・・・とそれぞれの「様式の変わり目」には思想の変わり目が潜んでいる。思想の解体と再構築だ。
「建築という情報」が解ると、音楽も美術も芸能も政治も科学も戦争も生活もすべてが連続性をもってみえてくる。
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