だれだ? 2010/02/22
2010.2.22 朝日新聞朝刊
東京・浅草の本龍寺に、戦後直後に作られた立体的な鏝絵(こてえ)がある。鏝絵を芸術の域まで高めたとされる松崎町出身の伊豆長八(本名・入江長八、1815〜1889)の影響を受けた左官職人の作品ではないかとみられているが、作者はわからない。手がかりは「伊豆にゆかりのある職人」。同寺の住職が「作者を知りたい」と情報の提供を呼びかけている。(阪本昇司)
鏝絵は、漆喰(しっくい)を塗り、左官職人が使うコテで風景や肖像などを浮き彫りにした作品。立体版は漆喰彫刻とも呼ばれ、木や針金で心をつくり、ワラなどを巻き付けた上に漆喰を塗って仕上げる。
本龍寺(台東区今戸1丁目)の鏝絵は、本尊が安置されている内陣正面の欄間に、菩薩(ぼさつ)や天女などが左右に配置され、中央の空間に本尊の阿弥陀如来が納まるように見える形で、来迎(らいごう)図を表現している。内陣左右の欄間にはそれぞれ松と桐(きり)に止まった鳳凰(ほうおう)。手前の横柱には鳳凰を中心にスズメやコイ、マゴイなどの動物13体が飾られている。鮮やかな彩色は1970(昭和45)年に塗り直したという。
住職の本多弘之さん(71)によると、1950(昭和25)年ごろ、空襲で焼け残ったコンクリート製の本堂を改修する際、当時住職だった祖父が、今の熱海市の出身だった縁で、伊豆にゆかりのある左官職人に内陣などの装飾を頼んだという。名前などの記録はなく、記憶では60歳ぐらいの職人だった。針金やブリキでかたどって作業をし、時折、数日間、姿が見えなくなった。京都や奈良の寺院を回ってきたとの話を聞いた覚えがある。
当時、東京で活躍していたのは、ともに長八の孫弟子で61歳だった伊藤菊三郎と池戸庄次郎。
2人とも長八の直弟子の吉田亀五郎に師事しており、長八の流れをくむ最後の左官職人といわれた。しかし、作風などから別人ではないかとみられている。
千葉県松戸市で伊藤菊三郎翁記念館を開く左官業の高橋敏夫さん(75)は「伊藤の作品は人物や花を生きているように描くのが特徴で、寺のは穏やか過ぎる。粗っぽさがある池戸の作品とも違う」。
この鏝絵の写真を見た松崎町の元左官職人で、長八作品保存会前会長の関賢助さん(75)は「素晴らしい作品。かなりの腕の職人が手がけたのは間違いない」と話す。
本龍寺の鏝絵を見いだした「鏝絵のある街」展実行委員会の調(しらべ)海明代表(61)=東京都新宿区=は「周りが焼け野原で、食べるものが少ない時代だったが、命の大切さを祈りながら、自らの技を発揮できる職人の喜びが表現されているようだ」と語った。
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