三人寄れば飲み会だ。ただし単なる飲み会じゃない。 2010/01/14
最近特に、仕事の関係で時代の新しい動向ばかりを追わなくてはならず、限られた時間の中で、読書はどうしてもそちらに引きずられる傾向にあった。正直言って少々辟易としていた。
そんな中、出がけにひょいとつまんだ文庫のおかげで久しぶりにドキドキする時間を味わうことができた。そんな時間をくれたのは、以前から何度か読み返してきた中江兆民の『三酔人経綸問答』(岩波文庫)だ。流れはだいたい頭に入っているので、必ずしも毎回最初から読み返すわけではなく、開いたところから読み始めるというのが、ある時期からのこの本との付き合い方である。
三人寄れば文殊の知恵というけれど、酔人南海先生と豪傑君と洋行学士の三人が縦横無尽に政治哲学を論じ合う。ブランデーもビールも飲み干して語り合う。ダーウィンもヘッケルも持ち出して政治を論を戦わす。朝まで何とかテレビなど問題外である。要するに民権運動で鍛え抜かれた兆民先生自身が三人のお面を代わる代わるかぶっては激論を戦わすわけだから、おもしろくないはずがない。この「三人寄ればの方法」がまさに針金の強さではなく、弾力のある縄のような兆民民権運動論の特徴である。
そういえば、三人寄ればの方法は、真言密教の弘法大師が『三教指帰』を綴るにあたって執った方法でもある(空海は仏教、道教、儒教の三人に語らせた)。そうだ、三人に語らせたら・・・。
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