アダム・スミスの『国富論』再読 2010/01/03
ここ数年、元旦の新聞各紙を揃えて眺めている。
各社、題字横のトップ記事に何を持ってきているのか。社説はそれぞれ何を扱っているのか。広告量の違いは。果たして総ページ数は(ちなみに、讀賣新聞は6部構成でなんと104ページ)云々。
今年の分析は、やがて公の紙面に載ることになる。
ある仕事のためにアダム・スミスの『国富論』(山岡洋一訳)を再読していたら、「見えざる手」に再会した。原書が手元にないので、はっきりとしたことはいえないが、スミスはこの書物の中で「見えざる手」を使ったのはたったの一ヶ所のみである。しかも有名となった「神の見えざる手」という表現は見つからない。「見えざる手」があるのみである。ここではそれを指摘したいのではない。
スミスの論は「完全競争市場」を基盤に据えているために、現代において新自由主義の象徴のように便利に引用されているが、なになに、その背景には市場の「シンパシー(共感)」があってこそ「個人の利益を考えて行動すると、人の利益にもつながる」が成立するというのが彼の論の大切な部分である。社会の「シンパシー(共感)」の重要性というものが、ここでも説かれていた。
◆去年の今日、わたしはこんなことを記していました。
http://www.hirano-masahiko.com/tanbou/719.html
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