平野雅彦が提唱する情報意匠論| 脳内探訪(ダイアリー)

平野雅彦 脳内探訪

濃い会  2009/12/06

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昨日金曜日は、情報意匠論の授業。
情報意匠論は、地域が抱えている課題を、学生がそこに参加することで解決していこうという試みである。そこにあるのは「方法のリデザイン」である。そうして、そのときの考え方になるのがこのサイトのタイトルにもなっている「型があるから、型破り」だ。
その情報意匠論では、本年度もいよいよ恒例のグループワーが火蓋を切った。さっそく、本日土曜日には課題の一つであるUテレビ局の生番組を見学してきた学生グループもある。素早いフットワークである(応対してくださったNプロディーサー、Kアナウンサー、スタッフの皆様 本当にありがとうございました)。また、来週には、もうひとつの課題でもあるS博物館に取材・見学を予定しているグループもある。
前回の授業でも紹介したが、わたしは昭和を代表する写真家・木村伊兵衛の次の言葉がとても好きだ。
「ムダとわかっていても出かける」。
わたし自身も失敗を繰り返して来て、最近では実感をもって木村伊兵衛のこの言葉に深い共感を覚えるに至った。現場に赴き、現場の「ニオイ」を感じる。ついつい、この当たり前のことが面倒になる。雨天中止の天候だって、現場に行けば一瞬晴れる時だってある。そのチャンスを信じて現場に足を運ぶのだ。大事なのは、現場主義・現地主義。

授業が終わって学生たちと学食でカレーを食べながらミーティング。そうして、そのまま次の集まりへと移動。それはK大学の学生Mさんが主催した「濃い会」という奇妙な名の集まりだった。何でも、あちこちから濃〜い人々が雲集するらしい。そもそも何故わたしのような人間までもそのような場に呼んでいただけるのかよくわからないまま、とりあえずMさんからのお誘いなので参加することにした。
実を言うとわたしは「濃い人」が集まる場に出向くことが苦手である。まず、気後れする。それから、そういう集まりに行くと「(他の人の話は聞かないで)いかに自分が他の人よりも優れているか」というプレゼンテーション合戦になるからだ。そこでは決まって、まず苦労で固められた半生(若かりし頃)があるディテールをもって語られ、そこからいかに這い上がって今の名声を得るに至ったのかという物語を聞かされる羽目になるからだ。このパターンを成功者はたいそう好む傾向にある。わたしはそれが苦手である。
だが、今回の「濃い会」はちょっと違っていた。みなさん、意外なほど物静かであった。自分のことはさておき、どちらかといえば聞く側に徹しているようにも見える。それでいて、各々の活躍はすさまじい。すべて実践型である。なるほど、こういうことね。さすがMさんの人選。で、気をよくしてノンアルコールカクテルを三杯もお代わりして結局帰宅したのが真夜中の二時半。それから、本日土曜日の社会学科の授業の予定を確認して、横になったと思ったらもう朝で、そのままシャワーを浴びて午前中の打ち合わせに行く。
午後からは社会学科の授業。11人の院生が取り組んでいる「地域の問題を解決するための環境に配慮した商品(サービス)開発」の全員のプレゼンテーションを聞きながら、それらプランの可能性を探りながらさらなる次元へとブラッシュアップ。あっという間の4時間半。

INSEI

午後6時からは本日最後のミーティング、Nプロジェクトへ参加。こちらもいよいよ今月半ばには山場を迎える。
家に戻ってK-1を早送りで観て、締め切りを一本退治して、今こうして脳内探訪を書いている。もう、夜中の一時過ぎである。ふ〜っ。


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