平野雅彦が提唱する情報意匠論| 掻く

平野雅彦 掻く

空から降り注ぐ日本語 (朝日新聞掲載)

omikuzi

当たり前すぎて疑問さえもたないが、会社やさまざまな会で回ってくる書類のほとんどが今や横書きだ。
パソコンや携帯電話のメールも横書きにデフォルト(初期設定)されてしまっている。だが考えてみると日本語の多くは、未だに縦書きにレイアウトされる。辞書や新聞がずっとそうだし、雑誌の多くも縦書きだ。ではなぜそもそも日本語は、上から下へ向かって綴る縦書きなのだろう。

文字が急速に日本独自の文化を抱えながら成長していく過程では、今とは比較にならないほど言葉が特別な存在だった。「言葉」というのは、そもそも神の発した「言霊」だった。最初、神の発したもの以外は言葉ではなかったのだ。亀の甲羅や鹿の肩胛骨で収穫を占ったり、祭司の日程を占ったりもしたが、これらはすべて「神の声」を聞く、言葉を授かる儀式だったといえる。その信託は「言降り」といって天から降り注いでくるものだった。実はこの言葉の重力の方向が文字を綴る縦方向になったのだ。

日本では早くから、他国に見られない優れた文学をたくさん生んできた。その中で、とくに書き言葉は多重構造を抱えながら大きく発展を遂げる。だが一方、歴史の裏舞台や道々外才人(みちみちげざいにん)と呼ばれる裏側のネットワーカーの世界では、敢えて書き言葉に定着させない、「語り」が地域文化や国家プロジェクトの情報記録媒体の役割を果たした。人間そのものが記録装置なのだ。「口伝」という武道や芸能の言葉がそれを如実に物語る。

携帯メールという「親指言葉」(これも電波という空から降ってくる言葉だが、なぜか横書き)も良いが、今この時代だからこそ、天を仰ぎ、自然の音に耳を澄ませ、人の生の声「語り」に耳を傾けたい。

平野雅彦(情報プランナー)

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